大鹿村騒動記(阪本順治監督)

阪本順治監督の通算20本目の監督作品にして、主演・原田芳雄の遺作である本作は
「日本で最も美しい村」連合に名を連ねる実在の村、長野県下伊那郡大鹿村が舞台の
温かく、切なく、抱きしめたくなるほど愛しい映画です。

南アルプスをあおぐ谷底に位置するこの村では、棚田をつくり、鹿を撃ち、塩をつくり、
そして村人たちが300年以上も守り伝えてきた村歌舞伎「大鹿歌舞伎」が
今日まで大切にされています。

食堂「ディア・イーター」店主の(ぜん) (原田芳雄)は
テンガロン・ハットにサングラス、つなぎに黄色いゴム長靴がよく似合う、
無骨でキュートなおっちゃんです。
幼馴染みで恋女房の貴子(大楠道代)は、同じく幼馴染みの(おさむ)(岸部一徳)と
駆け落ちしちゃったので、善は18年間ひとりぼっちでお店をやってます。

全員が友達、という小さな村での駆け落ち事件と、それからの18年間という歳月は
善をしょぼくれさせて当然なんだけど、どっこい少しもしょぼくれてない元気な善ちゃん、
年に2度の歌舞伎公演でも、壇ノ浦の生き残りの平家武将・七兵衛景清を立派に演じて
村人たちを喜ばせています。

公演5日前、忌々しい治ちゃんが、貴子を連れて大鹿村にひょっこり帰ってきます。
認知症を患って、治ちゃんを「善さん」と呼ぶようになった貴子の世話をしきれなくなった
治ちゃんは、貴子を善ちゃんに返しに来たんでした…

ええええええええええ?!

駆け落ちしたことすら憶えてない貴子は、善ちゃんの家に元通り暮らし始めちゃうし、
治ちゃんもそばでうろうろしてるし、村にリニアを誘致するかしないかで揉めちゃって
歌舞伎の練習中もみんなが喧嘩腰になっちゃうし、
貴子のお父さんの大鹿歌舞伎保存会会長、義一(三國連太郎)はヨレヨレしちゃってるし、
でっかい台風が近づいてきちゃったし、
どーすんの?えぇ?!

   ぷんすかぷん!

撮影は2週間のオールロケ。
大楠道代が舞台挨拶で語った
「ほぼ合宿状態で、撮影して宴会やって、また撮影しての毎日でした」
という様子が容易に想像できるほど、阪本組常連の役者さん達中心に
立派な役者さん達がずらりと勢揃いして、本当に幸せそうに
この美しい村で「暮らして」いるところをみせてくれます。

大鹿歌舞伎だけに伝わる演目「六千両後日文章 重忠館の段」を
大鹿村に現存する7つの舞台のうちのひとつで実際に演じているシーンがありますが
このお芝居、最初から最後まで観てみたかったなぁ。できれば生で。

「仇も恨も是まで是まで。」(あだもうらみもこれまでこれまで)

大好きな、大好きな、大好きな原田芳雄さん。
公開3日目に亡くなっちゃいました。
だから、このお芝居はもう観られない。

だけど、映画の中で何度も繰り返し念押しされている通り、この大鹿歌舞伎は
「300年続いてきた」大切な文化であり、それを村人たちは
継承者としての自覚と誇りをもって大切に大切に守り続けているのです。

映画では景清を義一が演じ続け、引退した後、善ちゃんが引き継いだという
設定になっています。
大鹿歌舞伎を今やっている人達はバトンを持ってるリレー走者であり
誰かがやめれば、次の世代の誰かがまたバトンを受け取って、その次の世代まで
繋いでいくんです。
繋がれていく限りこのお芝居は、ずっと観ることができるんです。

若い頃から素晴らしかった原田芳雄や石橋蓮司のような役者さんが
若い世代ではなかなか現われず残念に思いますが、伝承芸能だけでなく、是非、
素晴らしい映画をつくる役者やスタッフが、私の大好きな日本映画を
枯れさせずに続けていってほしいなぁと思います。


〜 おまけ@ 〜
主題歌は、忌野清志郎の名曲「太陽の当たる場所」。
本作パンフレットに紹介されている経歴には、故人であることが書かれておらず、
「今なお圧倒的影響力を誇るカリスマ」とあります。
清志郎ファンの私は、これだけで涙と鼻水ダダ漏れ!

   ヽミ* ゚∀゚ミノ キヨシロー!

〜 おまけA 〜
しょっちゅうひどい死に方をする石橋蓮司だけど、この映画では
久しぶりに死なないよ!しかも、もんのすごく長生きしそうに見える。
そして声…!
いつも思ってたけど、レンジは本当にイイ声だねええええ!
稽古のシーンでまず、大感動しちゃうよ!

   治ちゃん…?!




映画部屋入り口へ   ゆうがた部屋玄関へ